大日本史

特に阿部正弘と島津斉彬がもう少し存命していたら、流血の明治維新は起きずに、もっと円満な形で共和政体に移行していた可能性 が高い。

ペリー来航5年後には、島津斉彬を首相とする閣僚名簿を松平春嶽と由利公正が起草した痕跡が残っていますし。 
あと、上記が一橋慶喜を頭にした一橋派とすれば、全くの逆サイド徳川家茂を担ぐ南紀派も、思想の現実性、妥当性はともかく、「大日本史」を基にした水戸学の徳川斉昭、藤田東湖、井伊直弼あたりも彼らの立場なりに日本をうれいていたのだろうなと思います。 
面白いのは、尊王攘夷思想の総本山が、よりにもよって御三家副将軍の水戸なんですよね。これについては霞蜀さんはどのように見解をお持ちですか? 
一説によれば、家康の計らいで、御三家を作る時に、将来の幕府分裂を見込んで、江戸本家と紀州は幕府軍として最後まで抵抗し、水戸と尾張は天皇 側に回れという指示が裏で出ていたという説もありますが。実際、将軍輩出したのは紀州のみで(一橋慶喜は水戸斉昭の息子だけど一応一橋として計算)、尾張 と水戸からは将軍が出ていない。