場の空気

「いじめを止めない傍観者は、非難・処罰されるべきだ」という倫理は、「他者の権利侵害を止めない大人は非難・処罰されるべきだ」という倫理と 同じ論理構造ですが、第三者の不幸や被害に対する積極的な救助や制止を義務付けることは難しいと言わざるを得ない部分もあります。

大勢に迎合しない集団主義でない個人主義者であっても、「自分が大切と思わない相手を、危険を冒してまで救助する義務はない」と主張することがあ り得ますが……社会全体に強者や富貴に従属する風潮という「ある種の人間的摂理」がある以上、傍観者問題の改善に成功した国や地域はないのではないでしょ うか。

根本的な問題の中軸は、自己同様に他者を愛せない人間の弱さにあり、自己保存の生態学的地位を確保しようとする遺伝形質が『場の空気』を無意識的に読んでしまう利己性を強化してしまうのでしょうね。

とはいえ、大人の場合、過半数の人は社会的問題の是正や不幸な他者の救助を為すほどの実際的な力を持っておらず、自己と家族、親類、親しい友人く らいの範囲にしか直接的な救助や支援をすることが出来ないという物理的制約もあるでしょうし……